大震災を克服する勇気を |
今の時期だから、なおのこと鮮明に思い出す。16年前の1月17日、6434人の命を奪った阪神大震災。テレビ映像が映し出す神戸市内 |
の上空からの映像は、各地から不気味な黒煙が立ち上がり、高速道路は飴細工のようにねじ曲がって崩壊し、都市機能は完全にマヒ。 |
まさしく「この世のものとは思えない」惨状が広がっていた。 |
関西を襲ったその大混乱が続く中、日本のプロ野球を代表する右腕は後ろ髪をひかれる思いで日本を後にした。 |
近鉄球団を退団した野茂秀雄投手だ。野茂さんの名誉のためにも書いておかねばなるまい。混乱する関西から「脱出」を図ったわけ |
ではない。5年間在籍した近鉄から「日本球界では投げられなくしてやる」と脅かされた末、「任意引退選手」として放りだされたのだ。 |
野茂投手自身、米国で野球を続ける確かなあてがあったわけでははない。安定した日本での生活を捨て、「大リーガー」の夢を追って |
単身渡米した。 |
◇ |
では、野茂選手が目指した大リーグはその時、どんな状況に置かれていたか。実は日本と意味は違うが、明日の見えない泥沼にあえ |
いでいた。 |
選手の総年俸を一定枠内に抑える「サラリーキャップ制」導入を目指すオーナー側と、強硬に、反対する選手会が激しく対立。前年秋 |
から選手会は無期限ストに突入し、オーナー側も球団施設などのロックアウトで対抗した。 |
解決の糸口すら見えないまま94年のペナントレースは途中で打ち切られ、2度の世界大戦も途切れることのなかったワールドシリーズ |
も中止になった。 |
越年した長期ストに業を煮やした当時のクリントン大統領が仲裁役に名乗りを上げ、2月6日を最終期限に設定し、労使に歩み寄りを |
求めた。なぜ2月6日だったのか。その日のヤンキーズの伝統的強打者、ベーブ・ルースの生誕100周年の記念日だったからだ。 |
しかし、大統領の仲裁も功を奏さず、ストが解決したのは3月末日。4月2日に予定していた開幕日を3週間遅らせてペナントレース再開 |
にこぎつけた。 |
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野茂選手もスト解除の余波で大リーグデビューは5月2日までまたされたが、1年目、13勝を挙げて新人王を獲得。その後の活躍はご |
存知の通りだ。大リーグに通産12年在籍し、123勝(109敗)の実績を残した。「トルネード投法」を子どもがまねをし「NOMOマニア」という |
社会現象も起こした。 |
イチロー選手や松井秀喜選手ら日本を代表する選手たちが大リーグに挑戦するきっかけを作ったのも野茂選手である。 |
苦しく、困難なときこそ勇気を奮い起して挑戦しなけれはならない。そのことを野茂投手は大リーグへの夢を追うことで身をもって実証し |
た。 |
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東北から関東まで広範な地域で未曾有の大災害を起こした今回の大震災。この原稿を書いている時点で死者・不明者は2万人を超 |
し、その数はなお増える可能性もある。甚大な被害に見舞われた今だからこそ、阪神大震災の日本を勇気づけてくれた野茂投手のこと |
を思い出したい。萎縮し背中を丸めているわけにはいかない。 |