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スポーツライター
中島 章隆
1952年長野県生まれ都立久留米高校早稲田大学法学部卒
現・毎日新聞論説委員。東村山市在住
雪国の戦友との別れ
 「青島院勇猛屑鉄居士」
 忘れられない名である。今から30年以上も昔の話だ。
 別れは唐突ではなかった。ずっと前からその日が来ることは覚悟していた。むしろ周囲からは「もっと早く楽にさせてあげたら」と忠告さ
れていたぐらいだ。だが、自分の手で最期を見取る決断がつかなかっただけなのだが・・・・・。
 戒名の主は、わたしの最初の愛車である。青森で新聞記者修行を始めたころ、必要に迫られて中古車を購入した。
 生来のそこつ者。自慢じゃないけが運転は下手くそで、青森支局で配備されていた社有車は、支局長から「お前は運転してはならな
い」と禁止されていた。だが、公共交通網が整備されている都会とは違い、青森では車がないと商売にならない。
 「どうせ、ボコボコぶつけるから、一番安い車にしな」。先輩のアドバイスで購入したのが白いブルーバードだった。中古車がずらりと並
ぶ野外展示スペースの一番隅、目立たないところに展示されていた。値段は15万円。その店では群を抜いて安かった。塗装の光沢は
消え、見るからに中古車然として10年選手だった。
 だが、何が幸いするかわからない。当時は車の排ガス規制が厳しく、新車でも各種の規制で車のパワーが落ちでいる時期だった。そ
の点、排ガス規制前のわが愛車は、パワー全開。とにかく力強かった。
 新聞記者は現場が第一。事件や事故のたび各社が競って現場に急行するが、わが愛車は威力を発揮した。ライバル社の車を抜き去
って一番乗りする快感といったらない。
 ただしカーナビなどの便利な道具ができる前の事。調子にのって飛ばしたのはいいが、地理がわからず右往左往することもしばしばだ
ったが。
 愛車とともに死にかけたことも、何度かある。とくに厳冬期。津軽半島の突端、竜飛岬に写真を撮りにいった帰り、アイスバーンになっ
た長い下り坂でハンドル操作が不能になり、1回転半して道路右脇の雪の壁に激突した。道の左側は深い谷。「反対側にスリップしてい
たら」と背筋が凍り付いた。
 激しい地吹雪の中、わだちにはまって2時間近く立ち往生したこともある。待てど暮らせど、車も人も通らない。携帯電話などなかった
時代で、近くに民家もない。やがて雪は車をすっぽり覆い隠すほどに降り積もる。絶望的な思いをした挙句、やっと通りかかった長距離
トラックに救出してもらった。
 半年間は雪に閉ざされるが、雪解けの時期から紅葉の秋までは快適なドライブを楽しんだ。青森暮らしにすっかり慣れたある夏のこと
だ。下北半島に取材に出かけた帰り道、ドスンという異様な物音と、グォーという不気味なエンジン音。あわてて車を止めると愛車のマフ
ラーが外れて道端に転がっていた。
 青森市内の主要な道路は冬の間、消雪パイプから海水をまいているため、車の下回りは塩害ですぐにサビでしまう。わが愛車の寿命
を縮めた一因にもなった。それ以前にオーナーの整備不良が響いてはいるのだが。
 青森での記者生活は6年。そのうち4年半は白いブルーバードのお世話になった。苦楽をともにした大事な戦友といっても過言でない。
廃車が決まり業者が引き上げに来た日、青森版のコラムで戒名を献じ、愛車との別れを書いた。「もっと大事に乗ってあげればよかっ
た」。ほろ苦い反省が心に残った。
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