反エリートの殿堂入り |
1月14日、今年の「野球殿堂入り」顕彰者が発表され、プレイヤー部門で中日監督の落合博満氏(57)が選ばれた。現役時代に3度も三 |
冠王に輝いた落合氏だから、当然すぎるほどの結果だが、投票委員の一人として胸をなでおろす思いをしたのにはわけがある。 |
プレイヤー部門の殿堂入りは、プロ野球記者の投票で決まる。それら有効投票の75%以上の得票が必要だが、落合氏は一昨年も昨 |
年も投票ラインにわずか1票足りずに落選していた。1票差で落選したケースは過去にもあったが、2年連続というのは落合が初めてだっ |
た。 |
「まだ現役監督だから」とあえて投票しなかった人も少なくなかったのだろう。だが選考基準はあくまでも選手時代の実績。今回は当選 |
ラインを30票上回る277表(得票率84%)を獲得、晴れて殿堂入りした。 |
◇ |
野球少年なら誰でもあこがれるプロ野球選手。その頂点に上りつめた選手は、少年時代から野球エリートコースを歩んできた場合が |
圧倒的に多い。だが、落合氏は例外だった。エリートとは縁遠い道を歩んできた。 |
秋田県北部、干拓で知られる八郎潟に面した小さな町に生まれた落合少年。中学校までは県下に名をとどろかせた剛腕投手だった。 |
高校進学に当たり、県内外の野球名門校から特待生として勧誘されたが、落合少年が選んだのは、ラグビーでは名門ながら野球では |
ほとんど実績のない秋田工高だった。 |
野球部には所属したものの、普段の練習にはほとんど顔を出さなかった。親元を離れ、秋田市内で働く姉のアパートに下宿した落合 |
少年は、親の目が届かないのを幸いに、野球部の練習どころか学校もサボって連日のように映画館通い。 |
甲子園の予選が近ずくと思い出したように野球部の練習に顔を出し、「オレがみんなを甲子園に連れて行く」と大口をたたくが、もちろ |
んあえなく敗退。高校生活は、そんな3年間だった。 |
◇ |
野球部の顧問の勧めで東洋大学に進学するが、練習についていけず夏には退学する。その後、郷里の八郎潟に戻り、実兄が支配人 |
をするボウリング場でアルバイトをするかたわら、町内の草野球チームで軟式野球に興じていた。このような生活が、20歳になる直後ま |
で続いた。 |
高校時代の恩師が再度、落合氏を野球界に引き戻し、社会人野球チームを持つ東芝府中に入社することになる。ここでの活躍をプロ |
のスカウトに認められたが、プロ野球への道が開いた時は、すでに25歳になっていた。 |
◇ |
「プロ野球選手になるまでは遠周りしたけど、高校時代から肉体的にも精神的にも体を酷使していないから、必ず息の長い活躍をする |
と思う」 |
八郎潟のほとりで草野球をしていたときのライバル投手が語った言葉だ。 |
そのライバルの予言どうり、44歳まで「オレ流」の現役生活を貫き、球界の中心打者として活動を続けた落合氏。現役引退後は、中日 |
の監督としてリーグ優勝3度、日本一1度と、非凡な才能を開花させている。 |
殿堂入りに2年足踏みした落合氏だが、プロ入りするまでの長い道のりを思えば、この程度の遠回りは、むしろ彼にとって、ふさわしい |
勲章なのかもしれない。 |
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